だいたいのものもの

誰からもわすれられた、色々なものの説明を掲載します。

ますのはな

 ますっぱとも。古くは平安時代から、貴族の間から農村まで、広く使われてきた家具の一種である。

大陸より伝来し、僧侶が自らの房に取り付けた「書鈎」が源流と考えられている。

 

 もともと書鈎は、修行の一環として経典や書をしたためる僧が、自分の修行の進度を外の人間に伝えるために開発された修行の道具であった。

木製の天秤のような形をしており、天秤の片側は修行部屋に、もう片側は部屋の外に突き出る形になっていた。使い方としてはまず、修行部屋の中の腕に墨つぼを掛ける。墨を使って経典を書き進めるにつれ、墨つぼが軽くなっていく。すると、外側に突き出た腕がはじめは上を向いていたのが、徐々に下がってくる。その下がり具合を見て、他の僧侶は修行の進度を知る事ができるというわけである。

もちろん、腕が下がればよいというわけではない。早く下げよう、早く墨を減らそうと考え乱暴に墨をつけようものなら、外側の腕に付けられた小さな鈴が鳴り、すぐに知られてしまう。この鈴を鳴らす事はこの修行を行うにあたり、最も恥ずべき事とされた。

「書聖人 筆を鷺のごとく立て」

とはまさに、鈴が鳴らないよう慎重に墨に浸す振る舞いが房の外に出ても染み付いた、書の達人の様子を詠った作品である。

 

 やがて、同じように書を多く書く貴族も愛用し始めた。彼らの場合は修行ではなく、日々の仕事の量を測るため、仕事の早さを誇るために使われたのである。徒然草の一節にも

「鈎を下げんと読めぬ字を連ね 得意げ 悪し」

と記述がある。仕事をするためでなく、鈎を早く下げるために乱暴に書いて読めない文書を乱造し、それで得意な顔をする役人は珍しくなかったのであろう。

 

 さらに時代が下るとこの道具のみが知れ渡り、庶民の間で一般的になった。そこでその形状がますの鼻先に似ているために「ますのはな」と名付けられたようである。特に、部屋の中で行う事を見られるわけにはいかないが、外にそれとなく知らせるような場合に頻繁に用いられた。

 たとえば便所がその代表である。

 衛生状況の悪かった時代、季節によっては腹を下すものが続発した。そこで便所へ行く事になるのであるが、今とは違ってどこにでも便所があるというわけにはいかないから、大抵の場合同じように腹を下した人間がすでに入っている。

 その際、中の人間は後どのくらいで用が済むか、便所の中の腕に下がった小さな重りを少しずつ降ろす事で外の人間に知らせたのである。

 この重りをはばかり小判、セッチンハジキなどと呼び、子供がおはじき代わりに遊んで叱られるという光景は昭和のはじめ頃までよく見られたようである。

 

 また、女郎宿や遊郭でも頻繁に用いられた。今の客の相手があとどのくらいで終わるのか、ますのはなを用いて知らせたのである。

 当然、客の目の前であからさまに行っては失礼にあたる。ゆえにいかにこの重りを下す動作をさりげなく行うかがその遊女の格を決める一つとされた。

「白魚が淀みにさぐるますのはな」

 とは、一緒に楽しんでいると思った遊女の、事務的な動作を目撃してしまった寂しさを詠んだ狂歌である。

 

 また、最高級の遊女ともなると、ますのはなを用いて客を翻弄することさえしたという。絶妙なタイミングで上下させることで、こっそりと部屋の外に忍び寄った馴染みの客に、楽しんでいる様を知らしめるのである。ますのはなが下がったと思ったらまた上がるといった様を見て、客は嫉妬に悶え苦しみ、その遊女により夢中になったという。