だいたいのものもの

誰からもわすれられた、色々なものの説明を掲載します。

透討ち袴(すきうちばかま)

日本式剣術がまだ発展途上の時代に用いられた、一種の着衣である。

見た目は普通の袴と変わらないように見えるが、実は左右二枚の布を真ん中で縫い合わせたものである。普段は糸で繋がっているが、腹側に仕込まれた結び目を解く事で、袴が左右に分離し、ストンと落ちる仕組みとなっている。

これを剣術の師匠と弟子が対決する際に、弟子の方が着用した。

 

武術が発展途上の時代には、力が強いものや才能のあるものが師を打ち負かしてしまう事も多かった。また、師の尊厳も後の封建の世界ほどには高くなかったのである。もしそんな状況で一度でも弟子に打ち負けなどすれば、師は尊厳を失い、門下生もまた従うべき目標を失って一門は崩壊。発展しつつあった術も失われるという事態が頻繁に起こっていた事は想像に難くない。

しかし試合中に手を抜く事は、発展途上とはいえ武人の誇りに背く行為である。早逝した剣術の天才、青山倍流も、師との戦いに際して思わず手を抜いてしまった事を迷い苦しんだ果てに、不幸な自刃を選んでいる。

そうした背景の中で、この透討ち袴が考え出された。

 

これを着用し、弟子が師匠に打ち勝った場合、弟子はこっそり仕掛けを解く。すると、袴がまるで刀で真っ二つにされたかのように分断されるのである。それを見た観客は、誰も気づかぬ間に袴だけを斬ったと師匠を畏れた。

しかし、この袴を用いた試合で人気になったのは、むしろ弟子側の方だった。人々は、下腹部を丸出しにした恥ずかしい姿をさらしながら、潔く負けを認める弟子に対して尊敬の念を抱いたのである。特に若い美男子である場合、その人気は凄まじく、四条河原にてこの袴切りで名を馳せた柿岡甚之助とその美しい弟子・野川与伴が戦った際は、野川の袴が落ちるのを見るため、町中の人間が押し寄せて大パニックになり、死者まで出たと、複数の文献に記されている。試合は師匠である柿岡が勝利したが、なんと野川はさらに袴を落としたという。落ちた袴を得ようと押し寄せた女たちの狂乱ぶりに、

「野川の袴と浮世の静けきを音もなく裂く。柿岡は恐るべき剣士なり」

との文章まで残されている。

 

この袴の秘密については、師匠に迫る実力の弟子にこっそり伝えられたという説と、日々の修行の中で徐々に察していったという説がある。

どちらにせよ、師匠と試合をする=この袴を着用して、勝った時に落とす事ができるようになるには、師への心からの忠誠と、一門全体の将来を考える奥ゆかしさが求められた事は確実であろう。